シーラカンス日記

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zoom RSS 誰かの力になってみる

<<   作成日時 : 2009/11/25 22:57   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 8

ある人へのメールに書こうと思ったことなんですが、
なんか記事にしようかなという気分になったので
書いてみようと思います。
時々自分の子どもにも言うことですが…

自分のために生きる人生もいいが、
誰かのために何かする人生もいいよ。っていうこと…
せっかく生まれてきたのだから、
誰か他の人のために自分が何をできるのか、
何か少しでも役に立てる場所があるのか、
その場所を探してみるのは大事なことだよ。って。

たとえば大勢のために
何か意義深い仕事をするのもいい。
たった1人しかいない誰かのために、
あるいは子どもたちに全力を尽くすのもいい。
自分以外の誰かのために、
自分の持つ力とか知識とか時間とか手を使う。
そしたら自分もその人も
生きた意味を持てる。というか…

誰かのために費やすのは、笑顔でもいい。
その笑顔が誰かの力になるなら、
とっても意味がある。
だから、世の赤ちゃんには、とても力がある。

学生として生きるなら、
自分に何ができるのかじっくり考えながら、
可能性を増やしつつ勉強することができる。
力を蓄えながら、じっくりと
「誰かのための何か」を探せる。
誰かの力になってみることを考えること、
実はそれが、いわゆる充実感とか
生きる楽しさとかに直結していて
実は自分のためにつながっていることに気付く、
それが人生の滋味だったり面白さだったりする。

いい人生を送って下さい。
Good Luckなのであります。

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コメント(8件)

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まったく、そうですね。

人の為に尽くすことは、つまるところは
そのつもりで遣ったことではないのだけれど、
自分の身に返ってきてくれるのですね。

自分自身が生きた事への“証し”でもあります。
けいしゃ
2009/11/25 23:23
すっごくよくわかる!同感!って感じです。

でも・・・
すごくむずかしい、簡単そうでむずかしい
ゆうづき
2009/11/26 09:17
子どもを産んだ時から、いや身ごもったときから
母として、自分以外の為に生きてるよね。
命をかけて、全力で。
でも、難しいことだと思います。
箕面のマンマ
2009/11/26 11:20
わかります。
ただそれって凄く難しいことですよね。
自分なんかは、結局周りに流されちゃったりとか、自分優先になったりとか。

誰かの為に生きてみたいです。
まこと
2009/11/26 18:27
学生の就職相談をしてますが、まず自分の働き場所を見つけることが第一ですが、どの仕事も自分ではない誰かに役に立つことで成り立っているものであることが、わかります、したがって、自分の仕事を探すことは自分を見つけることでもあり、役に立てる自分を求めていく長い過程ともいえます。生きていること、それ自体が。誰かのためという要素が含まれることで、区別する必要もなく、意味もなさそうな感じさえ致しますのです。そういうごく普通の役立つレベルとまったく違う位相の存在せざるを得ないのが、政治家という人種で、これは別格でありましょうかね。
tatstuma
2009/11/26 20:35
そうですよね、本当に難しい。でも、よくよく考えてみたら自分自身、昔若い頃、ヒトサマの役に立つ仕事を探そうだなんて全く考えて仕事を選んでたわけじゃないのですよ…お恥ずかしい。それよりも、あがいてあがいて、何度もあがいてスーツをダメにして、面接に次ぐ面接をやって、何度も否定されて、っていうことの繰り返しを経て、なんとなく自分にとって居心地のいいところに落ち着いた。というのが経緯でした。

ヒトサマのお役に立つことがやっぱり生きがいになるのかな、楽しいのかなー…とおぼろげながらも考えられるようになったのは、やっぱり就職してから数年経ってからでした。明確に認識するようになったのはやっぱり、子どもを産んでからです。究極の他者奉仕っていう感じがありまして…

若いうちは必死で生きて、なんとか生きていけるメドが立ったらその手を誰かのために使う。というのが理想なのかも…
シーラカンス
2009/11/26 21:21
>けいしゃさん
どこでどう尽くすかはホントにいろいろあると思うのですけど、それぞれの段階でどこか場所を見つけて人に尽くしていきたい、と思いますね。それができて初めて生きがいになるのかも…

>ゆうづきさん
子どものため、って思ってることが実は子どものためじゃなくて自分自身のためになって返ってくるという部分、なんというか、恵みみたいなものを最近感じることがあります。でも、難しいですよね、意識した途端に遠ざかる蜃気楼みたいな感じ…

>箕面のマンマさん
他者のために生きているんですけど、それを意識しすぎてもいけないのかもなーという…難しいですねぇ。そろそろ長女にも自我が出てきているようだし、「お前のために」という言葉にギマンがないかどうか自分自身問われてる感じもします。
シーラカンス
2009/12/06 00:33
>まことさん
「自分以外の誰かのために」っていう視点を持つことが、どこかで自分自身を結局は救うことになって戻ってくるような気もします。誰かのためになったかならなかったかは別にして、他の誰かのために生きようとするようになって初めて、人は大人になったと言えるのかもしれませんね…。

>辰馬さん
仕事を見つけようとすることって結局、世間にあるどこかの場所に自分というピースをあてはめてみる、っていうことだ。ということを養老孟司さんが書いてたと思うのですが、「自分にぴったりの場所を探す」というよりは、「どこで自分のような者が役に立てるのか」を探す旅、になるのかもしれないですね。

政治家には何かこう、使命感のようなものが誰しもあってほしい。とそう思います。
シーラカンス
2009/12/06 00:41

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